-錦ヶ丘保育園- 通信

                                       
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発表会について
副園長堂園です。
保育所保育指針の改訂の根幹を担い、保育・幼児教育に関する政府審議会・調査研究会の座長をされている無藤隆先生が、園における発表会についてお考えを示されていました。少し長いのですが(毎回長くてゴメンナサイ)、従来の形の発表会が新しい指針の目指すところとはズレがあるという点を詳しく解説されていましたのでご紹介いたします。

錦ヶ丘保育園では、2年前にお遊戯会から発表会へと名前を変更しました。来月のにしきっこだよりにも園長が書いていますが、それまでは「見せる」要素の強いお遊戯会でした。保育士が考えた内容(演目、衣裳、動き)を多少こどもに無理をさせてもやらせる、という形であったと今は思います。当時はそれがあたりまえでしたが、思い返してみると、衣装を着せられ本来は寝ていたりおやつを食べている時間に舞台でに上げられ大泣きする0歳児を「かわいいねえ、ちいさいねえ」と見ていたり、1-2歳児も複数の演目を「あとちょっとだからがんばって」などと声をかけ「表現する」ではなく「我慢させる」ことがお遊戯会の本質になってしまっていたのかもしれません。そしてそれは、私たちの力不足もあっただろうという反省もあります。

本来の「どうして発表会をするの?」という目的に立ち帰った時に、「表現する楽しみを味わってほしい」「友達と協力し、なにかを作り達成する気持ちを感じてほしい」「お兄ちゃん、お姉ちゃんすごい、自分もやってみたいという憧れの気持ちを育てたい」「自分がやりたいと思う演目に自信をもって取り組んでほしい」「保護者のみなさまに、こどもたちが今興味を持っているもの(絵本や歌など)を自然な形でお見せしたい」といった目標に至りました。

また保育所保育指針における3歳以上児の「表現」の領域では「感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする」と定めてあります。具体的には
「いろいろなものの美しさなどに対する豊かな感性を持つ」、
「感じたことや考えたことを自分なりに表現して楽しむ」
「生活の中でイメージを豊かにし、様々な表現を楽しむ」
とあります。「表現」は発表会の中だけでなく日々の保育の中にもありますが、発表会という視点で考えてみると、発表会でどんなことをするかこども達が意見を出し合い、最終的になにをやるか決め(意見の相違はもちろんありますが、子ども同士で話し合い譲り合っています)、それをどんなふうに表現するのかをまた、考え意見を出し合い、折衝して作り上げていっています。

大人から与えられたものをきちっと仕上げることにも、良さはあります。自分も教育課程でそれを体験してきたので否定するつもりはありません。ですが、幼児期の表現では少し違うアプローチが必要ではないかと思います。また、考える・感じたことを表現する・発表する・創造する・自分なりに表現する、などといった指針に示されたねらいを達成するには、旧来の形のお遊戯会では限界がありました。もしかすると、保護者の皆様にも本園の発表会では演目が多くないことやキラキラの衣装がないことを期待外れだと思われる方もいらっしゃるかもしれません。ですが、本番当日に至るために、8月末から1-2歳児では発達段階や保育内容を踏まえた演目の選定や練習、3-5歳児ではこども達と話しあいや練習を重ねてきた経過があります。当日はその様子をビデオや写真でお伝えできるようにと準備しておりますので、是非発表会本番当日だけでなく、その日に至るまでにこどもたちがしてきたたくさんの経験も発表会の一部だと思っていただけると大変ありがたいです。


園における「発表会」のいくつかの問題。(無藤隆白梅学園大学特任教授)
・発表会(特に表現系のもの)の意義と問題点を整理する。
・(必ずしもやらなくても良いと思うが、やるとしたらの留意点。)

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子どもにとって意味があるのか? 忍耐を覚えさせるのが意義だという極論は無理がある。単に大人が提示したものに近づくための訓練ではなくしていけるのではないか。練習と言っても、設計図を作りながら自分たちで目標をたててやっているという具合に、先の目的と今の練習を互いに深め合うようなあり方が可能ではないか。

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クラスや園全体での盛り上がったイベントはどういう意味で必要なのか。普段の遊びの盛り上がりの中に意味があると思う園もある。それぞれだが、本番というイベントとしての問題点は、完成度を高く求めがち。子どもではなく他者の視点からの完成度を求めていきやすくなる。しかしまた、子ども自身にとって、がんばる目標になる良さもある。またそこで最高度の発揮を可能にした高揚感がありうるだろう。

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保護者は自分の子どもの育ちを具体的に見たい。そういう場面こそ、子どもの育ちがよく見える。特定の子どもを含めた園全体の子どもの育ちが見える。親の、満足感、良かった感を可能にする。しかしまた、日ごろから保育の良さを、子どもの姿を普段から伝えていく園も増えている。イベントがいらないかもしれない。

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生活発表会の多くは表現活動だが、ポイントは運動会などすべてのイベントを含めて同様に考えられる。表現とは何かに戻って生活発表会では考える必要がある。領域「表現」とは何かがつきつめられて考えられていない。特に乳幼児期の表現。音楽や図工など、特殊性があり、スキル・道具の度合いが高いので、他の領域に比べてそのスキル指導の比重が大きくなっている。子どもはそのスキルを身に付けた上で表現するべきだと考え、指導しているのだろう。健康領域は、体育指導の割合はずいぶん変わり、運動遊び中心となった。小学校の学習指導要領の変化にも応じている。表現領域はなかなかその段階に行っていない。基礎スキルをどう組み込むか、そのあたりの実践の提案が必要だろう。

チ躪臉のあり方。
生活発表会は総合的なものだと考えるべき。イベントと領域とのつながりの捉え方が弱かった。10の姿の最後の一つとしての表現領域、中心は感性。領域表現の改訂でも「自然の音などに気づく」が入っている。それは領域を生活全般に根を持つものとしていくのである。同時に、表現ということの見直しがなされている。音楽的であるということは、人間の根源的な世界へのかかわりのモードの一つとしてとらえる。それと比べればスキルは乳幼児期に決定的なことではない。例えば、子ども自身に楽器を使わせて上手にできることは、「表現性」の不可欠な発達に必要なものなのかどうかを、もう一度検討するべき。乳幼児期という人生のはじまりにおける芸術とのかかわりは、どういうものであるべきか。

資質・能力の考え方からの見直し。
最も大事なポイントは、子どもたちが学んでいく、かかわっていくプロセスの明示化をしたことにある。気付いたり、工夫したり、粘り強くかんがえたりする、そのプロセス、日々の活動に表れるあり方を強調した。資質・能力のプロセスは、練習の中でも出てくるのかそのように持っていけるのかがポイント。目の前のものに対して、かかわっていくありかたである。

Г気蕕法∋劼匹發燭舛砲蓮∋劼匹發燭措身がその未来をどうしていくかが関わっていく。「あこがれによる学び」と呼んでいる。そのあこがれが極めて明瞭に出てくるのが発表会であることもあるので、うまく使っていくこともできる。「憧れとしての未来を実現していく力」」をつけていく場としていくのである。
| nishikigaoka | - | 10:47
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